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19年目のこんにちわ

そうかもう9年になるのか。


9年前の今日6月27日、私はモトクロスを辞めた。
10歳から始めたので13年続けたことになる。
金はほとんどそれに費やしたし、練習や整備、遠征に明け暮れていた。
怪我で7回入院したこともあるしし、医師に死ぬかもと宣告されたこともあった。

我ながらよくやったもんだ。


もう2ヶ月程過ぎたが、4月29日に川越で行われた全日本モトクロス選手権を観に行った。
13年間ほとんどのエネルギーを費やしてきたモトクロスだが、辞めると決めてからは1度たりとも乗っておらず、レースを観に行くのも7年前の全日本選手権以来だった。

専門誌やインターネットで記事やリザルトはチェックしていたので、だいたいの様子は把握していたが、ガキの頃から一緒に走っていた選手は、ほとんどがリタイヤし、見かけたとしてもその多くが観客やスタッフにポジションを変えていて、ライダーとしてエントリーリストに名を連ねているのはほんの一握りだった。
オートバイも2ストから4ストへと変わり、耳慣れないエンジン音と、私が現役時代はまだ鼻垂れ小僧だったガキンチョが、たくましい選手に成長して全日本選手権を走りる姿に、やはり隔世の感は否めなかった。

会場に着くとIAー2とカテゴライズされる、国際A級の250ccのレースが始まっていた。
当時は2ストだったので125ccだったが、私が走っていたカテゴリーは今でいうこのクラスにあたる。
レースはカワサキに乗る新井宏彰選手が優勝した。
今日現在、5戦を終えた段階で10ヒート中9ヒート優勝していることからも、その強さは群を抜いていることが見てとれる。
が、彼も私がバリバリの現役だった頃は、バリバリの鼻垂れ小僧にすぎなかった。

そんな若手選手が大半を占める中に、現役時代よく同じレースを走った選手がいた。
彼の名は井上眞一。
開幕戦、第2戦と3位表彰台に昇り、このレースでも7番手あたりと好位置を走っている。

11年も前の話にさかのぼるが、当時21歳の私は国際A級に昇格する一年前の国際B級のシーズン、ヤマハのライダーとして関東選手権と全日本選手権に出場していたが、16歳だった彼もまたホンダのライダーとして関東選手権と全日本選手権に出場していた。
出場するレース全てで彼と顔を合わせ、スタートラインに並び、何度同じレースを走ったかわからない。

が、実は一度たりとも勝ったことがない。
予選を含めても一度も彼の前でチェッカーを受けたことがない。

13年間モトクロスを続けてきて自分より速いライダーはいくらでもいた。
しかし、コースの得手不得手もあれば好不調もある、転倒もすればマシントラブルもあるモトクロスという競技において、これだけ多くのレースを共に走って、1度も前でチェッカーを受けたことがないライダーなど彼が最初で最後だっに違いない。
よっぽどいい準備をしていたのだろう。

なのでレース中盤、
「ベテラン井上」
という実況を聞いた時には、
「そっか~、アイツももうベテランなのか~」
と違和感のようなものを感じたが、同時に、一緒に走っていた17歳の頃から彼は堅実で無駄がないベテランのような走りをしていたぜ、と心の中で思った。

当時彼とは出場するレース全ての会場で、否応なしに顔を合わせることになるのだが、見かける度に、
「ざけんなっ!オマエにだけは死んでも勝つ!」
と内心は彼に意識ビンビンなのにも関わらず、そっけないそぶりを見せ、会話もなければ、挨拶もしない。
レースが終わって表彰台で隣り合わせたとしても、話すどころか目を合わせることも決してなかった。
そのシーズン彼は関東選手権125cc、250ccチャンピオン、そして全日本選手権125cc、250ccチャンピオンと全てのタイトルを手中に収め国際A級へと昇格し、一方で私も関東選手権2位、全日本選手権ギリで何位か憶えてないという結果ながらも国際A級へと昇格を果たした。

97CONGLAND.jpg 国際A級に昇格してからも全日本選手権で同じレースを何度か走ったが、結局私が辞めるまで、私が彼の前でチェッカーを受けることは一度もなかった。
同時に挨拶も会話を交わすことも一度もなかった。

← ’97全日本選手権
  #01、井上選手
  #79、私



彼は今シーズン、カワサキの開発ライダーというポジションで全日本選手権に出場している。
フュエールインジェクションや軽量化など、日進月歩の技術やパーツを試し、開発を進めながら、これだけ上位を走るのは並大抵の能力ではないことは想像に難しくない。
聞けば4ストになってから、カワサキ、特に250ccは他のメーカーよりも際立って速いらしい。
新井選手の独走も彼の開発能力に担うところが大きいのではないだろうか。
そんな彼を本気で負かそうと必死で取り組んでいた当時の自分を、少し誇らしく思ったくらいだ。

そんなことを感じながら、私はレースの合間にパドックを歩き、ファクトリーのテントに並ぶ最新の技術が投入されているオートバイを、ファンの人垣の合間から眺めていた。
カワサキのファクトリーテントには250ccでたった一台、彼のマシンがメカニックによって2ヒート目の為の整備が行われている。
タイトルに最も近い新井選手がサポートチームのテントということを考えると、ものすごく重要なポジションだということを改めて思い知らされた。

するとオートバイの後ろにズドンと構えるモーターホーム化した大型トラックの中から彼が出てきた。
何やらスタッフと話をしていたが、私を一瞥すると、ハッと気が付いたようにもう一度こちらを見返して、ニコッと笑って頭をペコリと下げた。
私も驚きながらもすかさず笑顔で頭を下げた。
「オレはまだ続けてるぜ!ここまで来たぜ!」
という自信がみなぎるメッセージが伝わってきた。
そして、
「憶えていてくれたんだ・・・」
と、当時彼も少しは私のことを意識していたのかなと、今さらながら嬉しく思った。


ガキの頃から速かった彼のことは、同じ関東出身で練習するコースがよく重なるということもあり、彼が小学生1、2年の頃から知っていたのではないだろうか。


気が付けば出会ってから19年目、初めての挨拶だった。






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テーマ:ちょっといい話 - ジャンル:ライフ

  1. 2007/06/27(水) 00:20:13|
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